こんにちは、kopi rumah主宰 食卓コンサルタントのみつはしさなこです。
先日のTwitterポテサラ事件に続き、またも食ネタがバズっていました。
さすがにこれを鵜呑みにする人はあまりいないと思うのですが…
実際に買い物と料理を担当する立場から冷静に突っ込むと、激安スーパーが買い物圏内にあるんだろうなあとか、たまたま調味料とか買わずに済んだ月なのかなあと邪推します(笑)
私の経験で言えば、写真のように野菜を原価割れ状態で(八百屋で働いていた時もキャベツをあんな値段で売ったことはありません汗)売っている店舗はありませんし、もし私がこの記事のアドバイスのように、自分の子供3人をスーパーに連れて行ったらカオスが発生するだけでなく(笑)、普段買わないものをいろいろ買わされて結果的にコストは高くつきます…
おそらく…ですが、このモデルの方はご自分の買い物ルールがあり、節約しながら料理を作る、というゲーム感覚で取り組んでいるのかなと思います。日々の家事に楽しみを見つけるのは素敵なことですし、結果的にコストを抑えつつ美味しい料理ができるなら、家族もお財布もハッピーです。個人で楽しむ分には、いいのです。
けれど、この方の買い物・料理の姿を、こういった記事で「子供3人で食費2万円台」「買い物上手」というワードに乗せて取り上げるのは、やはり違和感があります。実際に日々の家計や料理をやりくりされている方は、このケースを現実的に捉えることができると思いますが、そうでない方(Twitterの反応だと多くは夫)が見ると、数字だけが目に入ってしまい「みんな本来工夫すれば、このくらいの費用で済ませられる」というバイアスを持って記事を読んでしまう可能性があるからです。主婦の味方であるESSEさん、どうしたというのでしょうか…
食費が安いは正しいのか
私たちの生活に欠かせない食事と、それにかかるお金。自炊料理も惣菜も外食も、限りあるお金を使う以上、支出の管理は必要ですし、結果的に安いに越したことはありません。しかし「食費を安くする」は決して正義ではないと思っています。
「食」の時間は食べる行為だけではない
食事本来の目的は、私たちの「お腹を満たすこと」にあります。
その目的に照らせば、「コストを抑える」「短時間で済ませる」ということは、ある意味合理的かもしれません。けれど、食事の楽しみって本当にそれだけでしょうか?食べながら美味しいと感じたり、その美味しさを誰かと共有し「心を満たす」ことも、食事で得ることができる大切な時間です。更に、食べながら食材にまつわる旬の話をしたり、それらを作る料理の時間も、合理性だけでは測れない価値だと思います。
話は変わりますが、夏が近づき店頭には枝豆が並んでいますね。
枝豆はパックに入って売られているのが主流ですが、私が買うのは、たいてい枝つき枝豆です。枝つきはパックとかさばるし、買ってから自分で一つ一つカットが必要です。更に価格もパックより高いという非合理の極みなんですが(笑)、枝つきの方が鮮度もちが良いだけでなく、私にとって夏の到来を感じる風物詩の一つでもあります(野菜を通した季節の感じた方についてはこちらの記事も)。
先日は一緒に留守番をしていた4歳息子に枝つき枝豆を見せたところ、見慣れない枝豆の姿にとても興味を持ち、一生懸命ハサミで枝豆を切り落としてくれました。即席でできる子供クッキングです。
また、先日ホームベーカリーを購入した我が家。休日の朝食で食べる食パンを焼いたり、時々夕食でフランスパンを焼くのに使います。特に拘った材料は使っておらず、また細かい原価計算はしていないのですが、強力粉、ドライイースト、バター諸々合わせて1斤300円は下らないかな、と思います。
コストだけで考えたら、1斤80円で食パンは手に入ります。夕食のフランスパンだって、白米にすればずっと安く抑えられます。けれど、朝起きた瞬間や夕食の完成と一緒に、家の中が焼き立てのパンの香りで包まれる経験は、ホームベーカリーや自分で焼いてこそ。朝から焼き立ての食パンを食べられる幸福感や、家族で出来立てのシチューとパンを囲む楽しみは、コストを重視していたら体験することはできません。
「食」を通じて得られるもの
食事はお腹だけでなく、心全体で楽しみ、満たすもの。価値観はそれぞれですが、心が満たされるかどうかは、節約や時短だけでは手に入らないと私は思っています。食卓を囲んだ団欒や季節を感じる旬食材、あるいは子供たちの料理体験も、「食」をきっかけに私たちを豊かにする大切な要素。節約・時短もいいけれど、時には気の向くままに料理や食事を選ぶことも必要。おうちごはんがより楽しい時間になりますように!
(言いたいこと言えたよ…ありがとう、ESSEさん…)